2006年04月16日 12:07
So Hot She's On Fire
今季は欧州選手権4位、トリノ五輪8位、3月の世界選手権では初のトップ10入りとなる6位に入賞したサラ・マイアー。怪我から復帰しスケーターとして華を咲かせ始めた彼女のカルガリーでのインタビューです。長くなったため2回にわけてこのブログで紹介します。
5月にはジャパンオープン出場のため来日する彼女。どんな演技で魅了してくれるでしょうか。
(Interviewed by Jacqueline Z. @ EOI Global)
−フィギュアスケートの選手、アイスホッケーといわゆる「スケート一家」に育ったようですね。スケーターになるべくして生まれてきた、という感じですね。
サラ:そうかもしれません。父は元アイスホッケーの選手で今はチューリッヒにあるアイスホッケークラブの理事をしています。私の従兄弟、私のコーチのご主人もアイスホッケーの選手です。私は叔母にコーチをしてもらっていて、私の母、妹はシンクロナイズドスケートをしています。母はジャッジでもあるんですよ。けれど私がシニアの競技会に出ているので、ジャッジするのはジュニアの試合に限られています。彼女は私の所属しているクラブ(チューリッヒ)の設立者のひとりでもあります。両親がずっと氷の上にいたので私も気がついたら氷に乗っていたという感じですね。そこでフィギュアスケートをやってみようということになったわけですが、嫌いではなかったみたいです。まず子供用のレッスンを受け初めて、4歳か5歳の頃に週に一度のペースで個人レッスンも受けるようになりました。叔母の指導の下で滑ることが多かったです。
−自分に才能がある、と自覚したのはいつ頃ですか?
サラ:すごく遅かったです。母が撮影したビデオテープを見ていたときでしたが、母は「アナタには全然才能がないわ。何か違うスポーツをしたほうがいいかもしれない」と話していたんですよ。他の子供たちのほうがはるかに上手だったし、たくさん練習しようとも思っていませんでした。もし私が一生懸命練習する子供だったら母は喜んだかもしれませんが、私はそんなに練習したくなかったんです。けれど、11歳のときにスイス国内のノービス選手権で2番になって、そこで初めて「私には才能があるんじゃないか」と思いました。特にジャンプに関してはそう確信しましたね。ジャンプを習得するのがとても早かったんですよ。
−「練習が好きだ」と思えるようになったということですか?
サラ:それまでも練習は好きだったんですよ。練習もそうですけれど、ただ氷の上で遊ぶことが大好きだったんです。今こう振り返ってみると、それが良かったんだ、とも思えます。フィギュアスケートに飽きてしまうことはなかったし、スケートへの情熱は今も消えることがありません。練習しろと強要されることもありませんでした。スポーツは誰のためでもなく自分のためだ、と思っていますが、もっと上手になりたいという気持ちも強くあるので、練習量は必然的に増えますよね。毎年毎年練習内容はどんどん密度の濃いものになってきて、ここ4−5年はいわば「自分の仕事」と捉えて練習に励んでいます。
−ずっと叔母さんであるイーヴィー・フェハー先生に師事していますね。
サラ:最初はペッパーデイ夫妻の指導を受けていました。ただ試合のときには叔母が付き添ってくれていました。ペッパーデイ先生が他の生徒のレッスンを長期間空けるわけにいかない、というためでした。それからですが、ペッパーデイ先生より叔母の指導を受ける時間が増えていきました。今でもペッパーデイ先生のクラブの練習には参加していますが、その他の練習は叔母と一緒です。
−コーチが親戚関係にある人、というのはどういうものですか?
サラ:私にとってはメリットです。彼女は私が赤ちゃんだった頃から知っているわけで、叔母ということで私の家族のことなどプライベートなこともよく知っています。私がどんなことにどう反応するのか、そして何かあったときに何をどう言えばいいか、という部分まで私を深く理解してくれています。私とコーチは親しい関係ですが、「親しすぎる」というわけでもありません。私の母がコーチだったら、師弟関係は上手くいかなかったと思います。もちろん家族会議の中でスケートの話もしょっちゅうしますが、練習・競技とプライベートを区別するようにしています。
−違う先生に習おうと思ったことは?
サラ:一度もないです。今まで全く問題がなかったわけではありませんが、何か問題が生じたからといってすぐに違う先生のところに…ということはするべきじゃありませんね。もちろんチームの歯車が合わないこともあるでしょうが、私の場合、根本的な部分に問題が生じているという思いは一度もありません。
−ここ数シーズン怪我が多かったと思います。苦しい時期をどう乗り越えてきたんですか?
サラ:いつか必ず良くなるとずっと信じていましたし、闘うべきものは自分の怪我だけだとわかっていたので、我慢できました。諦めずに頑張ってきて、それが今報われたような気がします。もちろん怪我から復活してくるのは簡単なことではありませんでした。約半年間滑れない時期があったんですが、怪我が治らなかったらどうしよう、良くならなかったらどうしよう、と不安に思っていました。けれど氷に戻ると以前よりももっとモチベーションが高まって、怪我をする前に出来ていたことを取り戻そうと頑張りました。自分自身を奮い立たせることが出来た理由は、正直、よくわからないんですが、スケートが好きだから、という気持ちが乗り越えさせてくれたんだと思います。スケートなしの生活なんて考えられませんから。
−もうやめてしまおう、と思ったことは?
サラ:ないですね。むしろ、怪我が治らずに止めざるを得ない状況になったらどうしよう、という恐怖感が強かったです。けれどいつも「そんなわけはない。いつか必ず良くなる」と信じていました。
−スイス国内で唯一の世界レベルの選手という立場、そして国内にライバルがいないという状況は酷なものですか?
サラ:いいえ、そうは思いません。この状況にはもう慣れましたね。もちろん「誰か私より上手な人、もしくは私と同じくらいのレベルのライバルがいたら…」と思わないわけではなかったです。けれどこのレベルになると、そんな選手を「見つけよう」と思っても難しいものだと思います。他の女子選手のことは知っていますが、常に注視しているわけではありません。私は自分自身と戦っていますし、自分が達成させたい目標も明確に持っています。逆に私は恵まれているとも思うんですよ。例えば日本だと、高いレベルに達していながら、トップの争いが激しいためになかなか世界の大舞台に出させてもらえない、というケースがありますよね。
−けれど、来季の世界選手権には女子シングルに2選手派遣出来るのにも関わらず、派遣出来るレベルの選手がいないというのは残念ですね。
サラ:そこまでは考えたことがなかったです。この1年で何が起こるかわかりませんが、現時点では他の世界選手権に出られる選手は見当たらないですね。





コメント
花子 | URL | 79D/WHSg
うわ!貴重なインタビューありがとうございます!
彼女のスケートに対する誠実さが伺えてとても興味深かったです。
マイヤーちゃんはソルトレイクで初めて見た時から気になっていた選手です。
2002年のNHK杯で生で見た(その時の優勝は恩田さんでした!)時も「可愛いなあ…スタイルいいなあ…清潔感あるすべりでいいなあ…」と密かに好感を持っていました。
最近欧州の女子選手が元気ないので、彼女には是非頑張ってほしいです。
(勿論カロリーナやゲデバニシビリやポイキヲやコルピにも頑張って頂きたいですが)
( 2006年04月16日 17:42 [編集] )
Hiro | URL | 79D/WHSg
▼花子さん
こんにちは、お久しぶりです
僕がサラを知ったのは2000年の世界ジュニアでした。
ジェニー・カーク優勝、サーシャが6位か7位でしたっけ。
中野友加里ちゃんも出てましたね。そこでサラは3番。
SLC以降何度か生で見てきましたが、今季の飛躍には
驚きました。特にヨロ選での活躍は素晴らしかったです。
どんどん安定感も増してきてますし、
来年以降も期待できそうですね。
( 2006年04月17日 07:32 [編集] )
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