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カタリナ・ヴィット-懐かしいとおもうこと

2003年10月31日 03:25

 84年と88年の五輪を制覇した「銀盤の女王」カタリナ・ビットに関する記事を読んだ。カナダの新聞に書かれたもので、ビットのスケートのことではなく、共産主義下で国際舞台で活躍した彼女が、東西ドイツの統合から10年を経てどういう生き方をしているのかをフィーチャーしたような内容だった。

 

 

 僕自身は政治にも東欧の歴史にも詳しいわけではないので、具体的な事例に関しては何も書けないのだけど、この記事の取り上げ方には疑問を持った。新聞にはそれぞれ「見方」というのが存在するとしても、このビットの記事に関しては一方的すぎるんじゃないか、と僕は思った。

 ベルリンの壁が崩壊され10年以上が経ったが、今ドイツで問題になっているのは「旧東と旧西の経済格差」だという話を以前聞いたことがある。経済的な理由だけではないと思うが、ここ数年「ノスタルジック」な国民意識が存在しているとも聞く。ホスト役をつとめるテレビ番組でビットは、

「共産主義下の生活は決して悪いだけではなかった」
「秘密警察の人間たちも、彼らの『仕事』をしなければいけないという義務があっただけだ」

 と語ったようだ。しかし、この発言は記事を書いた人間にとっては戴けないものだったらしい。

 この記事は「ビットは公共の場で共産主義を批判するべきだ」という、僕にとっては「それこそ自由がないのでは」と思われる内容が続くのだけれど、記事ってそんなに偏ったもので良いんだろうか。個人間でやりとりされる文書ではなく、公の場であるから尚更、公正さがあって然るべきじゃないだろうか。

 有名人にモラルを要求する、悪くいえば押しつける考えは危険だと僕は思う。チャリティーに参加するのも「毛皮が大好きです」と言わないのも、自分のキャリアを考えれば当然のこと。そこで一般的に邪悪とされる共産主義を批判しない五輪チャンピオンが非難される?共産主義の旧東独は邪悪?邪悪な国から生まれたチャンピオンも邪悪?その体制が崩壊した今、それに「加担」した人間は謝罪しなければいけない?

 単純すぎるってば。

 「正しい国(人)」が「道徳的ではない国(人)」を批判。
 この記事を書いた人は自分のことをそう思ってはいないだろうが、僕にはそう見える。そして何よりも疑問なのは、このビットの発言はドイツのテレビ番組内でのものであって、「正義の国」でのものではないこと。

 「何もかも悪いわけではなかった」
 これは政治的な意味合いより、自分の幼かったときの思い出など、日常の小さなことを振りかえってのことだったかもしれないし、何より今のドイツのことをよく知っている自国民だから言えるものだと僕は思う。

 ビットも責任を負うべきだという記者は彼女に何を要求するんだろう。
 「東独時代の五輪金メダル2つを返還しろ」
 …ってなわけないか(^_^メ)。

 言ってはいけないことを自粛するのじゃなく、言いたくないことを言うように強要する姿勢。優等生を語る前に、政治の話は極めて個人的でデリケートな話であることを理解するべきだと思う。そして「悪」のイメージが強い国/地域/グループの出身であることが、その人間の今を否定して良い理由なんてどこにもない。

 88年のカルメンは、きれいだった。
 国家云々の前に、彼女のカリスマは別格。

 ヘンな話、東独からのプレッシャーがあったから。けれどそれをコントロールできる「強い人間」だったから、彼女は女王だったんだと僕は思う。その当時を懐かしく思ってもいいじゃない。邪悪とする共産主義が廃れ、その変化の中で生じる感情まで全くの他人がコントロールしなくてもいいでしょう?

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